元巨人投手の戦力外後建設現場作業員から年商90億円社長へ
元巨人投手の戦力外後
建設現場作業員から年商90億円社長へ
渋谷区恵比寿よりむちうち
交通事故専門店 恵比寿鍼灸整骨院がお伝えします。
東京都八丁堀、建設工事会社。年商90億円企業(ビル床版工事を中心に請け負う)の代表取締役を務める元巨人の投手の松谷竜二郎さん(51歳)会社勤続13年。
1988年に野球ドラフト2位で巨人入りました。
1年目から一軍キャンプに参加。将来を嘱望される右腕でした。
しかし、入団直後からスポーツ障害の右肩痛を発症しました。
スポーツ障害は交通事故と同じです。
外傷は治りにくい? 手術しかない。
その後の回復と選手続行はメディアに出ている選手でも困難です。
治療費は一般のスポーツではスポーツ傷害保険がありますが、
治療費に制限や受診回数にも制限があると思います。
怪我はやはり致命傷です。
1991年には21試合に登板をしましたが、それ以後は出場できていません。
1995年には近鉄に移籍しました。3年後で戦力外を受けて引退しました。
ここからが問題です。
退職を通告された時に近鉄の球団幹部に『近鉄の関連会社で働かせてほしい』とお願いしましたが断られる。
もとから近鉄の選手ではなく巨人でしたので、冷たくされたようです。
巨人時代の元監督でした故、藤田さんとコーチだった末次さんに相談の上、
2人の知り合いの建設会社に就職しました。営業兼現場作業員として再スタートしました。
ここから地獄の始まりました。
当時の建設現場は完全な職人社会。
34歳では素人でしたので、職人には使い物されずに罵声をあびるほどでした。
元プロ野球選手の肩書や名声は一切通じませんでした。
そこで、必死に業界用語を勉強しました。
立場は巨人から紹介で入社していること。
やめれば紹介も切れてしまうので、後からの巨人からの退職者がはいれなくなることも考えました。
プロ野球選手のプライドを捨てました。気持ちを切り替えました。
職人とゼネコン業者と渡り合える仕事ができるように、
業界の書籍を何冊も買って寝る間を惜しんで勉強に励んみました。
近寄りがたい親方に「教えてください。」と頭を下げました。怒られながら作業のイロハを覚えました。
1年半後、転機がきました。他社へ転職しました。
6人程の社員数でした。3年後、2003年に代表取締役に就任。
以後、事業は順調に拡大しました。現在従業員60人で来年度は年商100億円を目指します。
目標は、プロ野球選手の退職後の受け入れさきとなること。
社会人野球チームをつくること。
なんてすばらしいと思いました。
すべての選手は引退します。
プロならばあきらかにすべてを捨ててからの0から出発です。
あまり引退後に成功している方は聞いたことがありません。
それ以上に、普通に社会人で成功している方もしりません。
スポーツレトレーナーの目線から
そもそもスポーツ選手になった時からわかっていることだと思います。
スポーツ選手も1つの職業です。
野球、サッカーは高額な給与をえられますが、トライアスロン、トランポリンなどは
スポンサーを見つけるにも大変な競技です。
スポーツマーケティングをはじめましょう。
そして、競技と平行に人生を自分でコーディネートしていくことをお勧めします。
人生の成功は人それぞれですが、今回は巨人軍でも社会では通用しないこと。
努力以上の努力について凄く伝わってくることがありました。
この先輩の場合、80歳になっても多分、自己努力をしている方だと思いました。
お力いただきました。
ありがとうございます。
渋谷区恵比寿よりむちうち
交通事故専門店 恵比寿鍼灸整骨院がお伝えしました。